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猫まっしぐら。投瓶通信です。
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異物感
眠い。少しだけ書く。

ユリイカ−村上春樹特集を買った。まだ全然読み進めてないけど、千葉雅也さんの「別名で保存する」っていう海辺のカフカ論が、なんというか、すごくモヤモヤした読後感だった。

正直意味は全然わかんなかった。でも、いや、だからこそすごく惹かれる感じがした。「父が僕のpowerbookをネットにつなぐ」なんて、なんだかとってもすてきな響きが文章からした。なんていうか、全くうまく言えないが、意味の分からない文章を読んでいて、自分の考えがそのキャンバスとしてのカオスに転写されている気がした。

ここから、「意味の分からなさ」ということを考えた。最近読んだ姜尚中のインタビューで「自分探しに悩んだら、抽象画でもみて=意味の分からないものに触れて自分探しからいったん離脱しろ」って言ってたけれど、それと同じようなことなのかな?って思った。僕が思うに、「自分探し」とか「自分との対話」とかは自家中毒に陥る危ういものだと思う。

そのことが自分をとらえる精度をどんどん失わせると思う。この経験は「注意する」という行為に近い(この「注意」はまた量子の社会哲学参照ね。)

「注意」を徹底すると、逆に対象のどこを見ていいかわからず、輪郭がぼやけて注意散漫というか、対象を捉えきれないことがある。こう量子の社会哲学で述べられていてなるほどと思った。強い体験ほどなんだか鮮明に覚えることができないのといっしょかな。

「自分で自分のことを考える」っていういわば閉鎖系な営みは、濃密すぎて精度が落ちていくものだと思う。

そこに異物として差し込まれる「意味の分からなさ」が逆に自分のことを理解する「媒介」になるのじゃないだろうか?





少しだけって思ったのに結構書いた。しかもこれは確実に1人には見られているのに。。。恥ずかしい。

しかも文体カッコつけすぎかなあ?キャラと違うかも。。でもなんか書きやすかった。普段読んでる本の影響かな?

では、また。
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