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猫まっしぐら。投瓶通信です。
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『メタボラ』から考える
読了しました。

つまらなくはなかった。と思う。ギンジが記憶を取り戻していく過程は気になって、どんどんページをめくった。また、家庭内暴力、工場派遣労働の描写には揺さぶられた。

ただ、まったく「惹き付けられた」「読み返そう」とは思わなかった。あ、多分ここからメタボラの感想にあんま関係なくなるわ。僕がメタボラを読んでまず思ったのは、「わかりやすすぎる物語じゃないか?」ってこと。

例えば、「揺さぶられた」と上に書いたけど、なんていうか、これはつまり力づくな感じがしちゃったんだな。家庭内暴力とか工場派遣労働っていうひどい現実を見せつけられて、確かに揺さぶられはした。でも、そりゃそうだろう?っていう思いがすっごく強かった。

でも、僕はこういう(ある意味で)予定調和な「感動」はぜんぜん惹かれないんだなー。惹かれないんだニャー。予定調和というか、なんて言えばいいんだろ?刺激と反応のわかりきった関係、かな(まだわかりにくいけどw)「そりゃ家庭内暴力うけたり、搾取的労働させられたりしたらこっちも痛々しい気持ちになるでしょ」みたいなw

僕が惹かれるのは平気で裏切ったり、理解できなかったり、受け入れられなかったり、する物語。そういう物語から生まれる感情は名付けがたく、由来もわからず、そしてどこへ行くんだ?そういう感情を生み出す「わからない」物語のほうが、開かれている気がする。わからない分、それぞれが自分の人生や考えを投影できるものであると思うし、その分多くの人に届くんじゃないかな。その意味で、今回のメタボラはすごく閉じた物語だと感じた。

ただ、「わからない」物語を楽しむのは本当に大変なことでもある。投影するってことは自分との対話であり、物語をつうじて自分のなかに降りていく作業でもあるから。やっぱり、普段から自分の感情を深いレベルで受け止めるというか、刺激に対して単純な反応しているだけじゃ、そういった深みはわかんない気がするなー。気がするニャー

あーー、この段落↑すっごく抽象的!ちきしょう!ニャーでごまかしきれてない感丸出し!


、続けます。そういういい物語っていうのは、相反する2つの魅力を兼ね備えてなくちゃならない。つまり、「わからないけど、わかりたい」って相手に思わせなくちゃいけない。作り手の立場から言うと、これってすごく難しそー。映画とかテレビとか見てて思うけど、そういうものって今は本当に少なくなっているな。

深くは立ち入らないけど、そういう2つのベクトルをもつには、伝えること矢表現することでは「何を」よりも「どのように」っていうのが大事な気がする。気がするニャー。




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