猫まっしぐら。投瓶通信です。
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メディア芸術祭から考える
2011.02.07 Monday
おいっす。今日は六本木・国立新美術館でやってるメディア芸術祭に行って参りました。
新しい表現方法を用いたアートが多く展示されてたりとか、話題のゲームやマンガもいろいろ展示してあったり、サカナクションのPVとかもあって、堅苦しくなくて面白いです。でも、メディアアートってどういう意味なんだろな?メディア=媒体のアート??メッセージとは別の仕方アートが存在してるってことかな?言ってて自分で意味わからんわ
あー、それで、見てて気になったことが1つあるんですけど。っていうか、これはあんまりメディアアートに限らずこないだbunkamuraにモネ展見に行ったときも思ったんですけど。あのー、展示の脇にある、作品を紹介するボードってあんまり意味なくないですか?
いや、うそ、(特にメディアアートはないと意味わかんないの多いから)あって、作品の成り立ち?とか作成手法みたいなのを知れるのはまあ有意義だと思うんだけど、なんつーのかな?例えば、「この作品は○○が特徴となっている現代社会の××を表現した」みたいに、作品の意図を思いっきりしたり顔で解説してるやつあるじゃないですか?アイツがね、ムカつくのよ。
まあ、それぞれの作品に意図があるのも分かるんだけど、それって解説すべきことなんか?解説すべき、っていうか、そんな10センチ四方のパネルに書ける言葉で「意図」を説明しても、その作品の「よさ」は何も説明してねーって思うな。
例えば、「The men in gray」っていう作品が今日すごいよかったんですけど、(その作品の詳細な解説はしないけど)その作品のパネルには「〜〜で、重大な情報が安易な形で流通している現代社会の不安を表現した」って書いてあって、これにすごい違和感を感じた。
「たしかに、現代は重要な情報が無防備に流れているのかもしれないけど、そんな言葉だけで作品を説明しきれたらこの表現形態の意味ないでしょ!んもう!」って思った。そのことだけが言いたかったら、標語やらなんやら作るか、もしくは啓発するヴィデオとか作ったらいいんじゃね?
そうじゃなくて、設定を作り、(見かけだけにせよ)装置を作り、演者をたてて、物語にするっていう過程を経ることで、そんな言葉には回収できない「余剰」みたいのが生まれ、そこに人々は惹き付けられるんじゃないかなあ。
実際、僕もこの作品はすごいいいと思いましたけど、「ああ、現代社会は重要な情報の多くが無防備な形で流れているなあ。もっと気をつけなくては!これ見てよかったー!!」なんて全然思わなかった。むしろ、何の目的も持っていないようで、ただただ人々の情報を淡々と収集して披露するこの2人が、どことなく不気味だけどおかしみを感じさせるような、そんなようなところがいいなあ と思いました(ここはまだまだ自分としても曖昧。よさを表すのって難しいー!)
っていうか、最近思うけど、何かを見たり、聴いたり、感じたり、味わったり、たりたりたり・・・しているときに、「この作品は○○を意図して、このシーンはそのために××な効果を期待して挿入されていて、、、、」とか考えている時点で、その作品って、鑑賞している人にとってはあんまりいいものじゃないと思う。
それよりも、「うわー、なんかよくわかんないけど、このシーンのこの風景心に残ったわー!全体としても、なんであの人物がこういう行動をしたのかよくわかんないけど、すげー感動した!!」とか(ここもまた表現へただけどw)そういう風に思えるものがいい芸術っすね。
あー、あと、さいごに1つだけ、書きながら思ったんだけど、その作品の作者が思う意図って絶対的なもんなのかな?例えば、作者が人生のトラウマを仮託して物語を書いたとして。それを受け手が自分の人生で起きた重大な事件に引き付けて解釈したとして、それは前者が唯一の正解で、後者の方が間違っているってことになるんかな?
最後の段落がない方がきれいにまとまったかもしれませんが。こんなところで。
※今日の気取りポイント
7段落め ビデオじゃなくてヴィデオって書いたところ
新しい表現方法を用いたアートが多く展示されてたりとか、話題のゲームやマンガもいろいろ展示してあったり、サカナクションのPVとかもあって、堅苦しくなくて面白いです。でも、メディアアートってどういう意味なんだろな?メディア=媒体のアート??メッセージとは別の仕方アートが存在してるってことかな?言ってて自分で意味わからんわ
あー、それで、見てて気になったことが1つあるんですけど。っていうか、これはあんまりメディアアートに限らずこないだbunkamuraにモネ展見に行ったときも思ったんですけど。あのー、展示の脇にある、作品を紹介するボードってあんまり意味なくないですか?
いや、うそ、(特にメディアアートはないと意味わかんないの多いから)あって、作品の成り立ち?とか作成手法みたいなのを知れるのはまあ有意義だと思うんだけど、なんつーのかな?例えば、「この作品は○○が特徴となっている現代社会の××を表現した」みたいに、作品の意図を思いっきりしたり顔で解説してるやつあるじゃないですか?アイツがね、ムカつくのよ。
まあ、それぞれの作品に意図があるのも分かるんだけど、それって解説すべきことなんか?解説すべき、っていうか、そんな10センチ四方のパネルに書ける言葉で「意図」を説明しても、その作品の「よさ」は何も説明してねーって思うな。
例えば、「The men in gray」っていう作品が今日すごいよかったんですけど、(その作品の詳細な解説はしないけど)その作品のパネルには「〜〜で、重大な情報が安易な形で流通している現代社会の不安を表現した」って書いてあって、これにすごい違和感を感じた。
「たしかに、現代は重要な情報が無防備に流れているのかもしれないけど、そんな言葉だけで作品を説明しきれたらこの表現形態の意味ないでしょ!んもう!」って思った。そのことだけが言いたかったら、標語やらなんやら作るか、もしくは啓発するヴィデオとか作ったらいいんじゃね?
そうじゃなくて、設定を作り、(見かけだけにせよ)装置を作り、演者をたてて、物語にするっていう過程を経ることで、そんな言葉には回収できない「余剰」みたいのが生まれ、そこに人々は惹き付けられるんじゃないかなあ。
実際、僕もこの作品はすごいいいと思いましたけど、「ああ、現代社会は重要な情報の多くが無防備な形で流れているなあ。もっと気をつけなくては!これ見てよかったー!!」なんて全然思わなかった。むしろ、何の目的も持っていないようで、ただただ人々の情報を淡々と収集して披露するこの2人が、どことなく不気味だけどおかしみを感じさせるような、そんなようなところがいいなあ と思いました(ここはまだまだ自分としても曖昧。よさを表すのって難しいー!)
っていうか、最近思うけど、何かを見たり、聴いたり、感じたり、味わったり、たりたりたり・・・しているときに、「この作品は○○を意図して、このシーンはそのために××な効果を期待して挿入されていて、、、、」とか考えている時点で、その作品って、鑑賞している人にとってはあんまりいいものじゃないと思う。
それよりも、「うわー、なんかよくわかんないけど、このシーンのこの風景心に残ったわー!全体としても、なんであの人物がこういう行動をしたのかよくわかんないけど、すげー感動した!!」とか(ここもまた表現へただけどw)そういう風に思えるものがいい芸術っすね。
あー、あと、さいごに1つだけ、書きながら思ったんだけど、その作品の作者が思う意図って絶対的なもんなのかな?例えば、作者が人生のトラウマを仮託して物語を書いたとして。それを受け手が自分の人生で起きた重大な事件に引き付けて解釈したとして、それは前者が唯一の正解で、後者の方が間違っているってことになるんかな?
最後の段落がない方がきれいにまとまったかもしれませんが。こんなところで。
※今日の気取りポイント
7段落め ビデオじゃなくてヴィデオって書いたところ
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