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    <title>猫の周りを２周半め</title>
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    <description>猫まっしぐら。投瓶通信です。</description>
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    <dc:date>2011-02-07T21:08:11+09:00</dc:date>
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    <title>メディア芸術祭から考える</title>
    <description>おいっす。今日は六本木・国立新美術館でやってるメディア芸術祭に行って参りました。

新しい表現方法を用いたアートが多く展示されてたりとか、話題のゲームやマンガもいろいろ展示してあったり、サカナクションのPVとかもあって、堅苦しくなくて面白いです。でも、メディアアートってどういう意味なんだろな？メ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[おいっす。今日は六本木・国立新美術館でやってるメディア芸術祭に行って参りました。<br />
<br />
新しい表現方法を用いたアートが多く展示されてたりとか、話題のゲームやマンガもいろいろ展示してあったり、サカナクションのPVとかもあって、堅苦しくなくて面白いです。でも、メディアアートってどういう意味なんだろな？メディア＝媒体のアート？？メッセージとは別の仕方アートが存在してるってことかな？言ってて自分で意味わからんわ<br />
<br />
あー、それで、見てて気になったことが１つあるんですけど。っていうか、これはあんまりメディアアートに限らずこないだbunkamuraにモネ展見に行ったときも思ったんですけど。あのー、展示の脇にある、作品を紹介するボードってあんまり意味なくないですか？<br />
<br />
いや、うそ、（特にメディアアートはないと意味わかんないの多いから）あって、作品の成り立ち？とか作成手法みたいなのを知れるのはまあ有意義だと思うんだけど、なんつーのかな？例えば、「この作品は○○が特徴となっている現代社会の××を表現した」みたいに、作品の意図を思いっきりしたり顔で解説してるやつあるじゃないですか？アイツがね、ムカつくのよ。<br />
<br />
まあ、それぞれの作品に意図があるのも分かるんだけど、それって解説すべきことなんか？解説すべき、っていうか、そんな10センチ四方のパネルに書ける言葉で「意図」を説明しても、その作品の「よさ」は何も説明してねーって思うな。<br />
<br />
例えば、「The men in gray」っていう作品が今日すごいよかったんですけど、（その作品の詳細な解説はしないけど）その作品のパネルには「〜〜で、重大な情報が安易な形で流通している現代社会の不安を表現した」って書いてあって、これにすごい違和感を感じた。<br />
<br />
「たしかに、現代は重要な情報が無防備に流れているのかもしれないけど、そんな言葉だけで作品を説明しきれたらこの表現形態の意味ないでしょ！んもう！」って思った。そのことだけが言いたかったら、標語やらなんやら作るか、もしくは啓発するヴィデオとか作ったらいいんじゃね？<br />
<br />
そうじゃなくて、設定を作り、（見かけだけにせよ）装置を作り、演者をたてて、物語にするっていう過程を経ることで、そんな言葉には回収できない「余剰」みたいのが生まれ、そこに人々は惹き付けられるんじゃないかなあ。<br />
<br />
実際、僕もこの作品はすごいいいと思いましたけど、「ああ、現代社会は重要な情報の多くが無防備な形で流れているなあ。もっと気をつけなくては！これ見てよかったー！！」なんて全然思わなかった。むしろ、何の目的も持っていないようで、ただただ人々の情報を淡々と収集して披露するこの２人が、どことなく不気味だけどおかしみを感じさせるような、そんなようなところがいいなあ　と思いました（ここはまだまだ自分としても曖昧。よさを表すのって難しいー！）<br />
<br />
っていうか、最近思うけど、何かを見たり、聴いたり、感じたり、味わったり、たりたりたり・・・しているときに、「この作品は○○を意図して、このシーンはそのために××な効果を期待して挿入されていて、、、、」とか考えている時点で、その作品って、鑑賞している人にとってはあんまりいいものじゃないと思う。<br />
<br />
それよりも、「うわー、なんかよくわかんないけど、このシーンのこの風景心に残ったわー！全体としても、なんであの人物がこういう行動をしたのかよくわかんないけど、すげー感動した！！」とか（ここもまた表現へただけどw）そういう風に思えるものがいい芸術っすね。<br />
<br />
あー、あと、さいごに1つだけ、書きながら思ったんだけど、その作品の作者が思う意図って絶対的なもんなのかな？例えば、作者が人生のトラウマを仮託して物語を書いたとして。それを受け手が自分の人生で起きた重大な事件に引き付けて解釈したとして、それは前者が唯一の正解で、後者の方が間違っているってことになるんかな？<br />
<br />
<br />
最後の段落がない方がきれいにまとまったかもしれませんが。こんなところで。<br />
<br />
※今日の気取りポイント<br />
7段落め　ビデオじゃなくてヴィデオって書いたところ]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-02-07T21:08:24+09:00</dc:date>
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    <title>『メタボラ』から考える</title>
    <description>読了しました。

つまらなくはなかった。と思う。ギンジが記憶を取り戻していく過程は気になって、どんどんページをめくった。また、家庭内暴力、工場派遣労働の描写には揺さぶられた。

ただ、まったく「惹き付けられた」「読み返そう」とは思わなかった。あ、多分ここからメタボラの感想にあんま関係なくなる...</description>
    <content:encoded><![CDATA[読了しました。<br />
<br />
つまらなくはなかった。と思う。ギンジが記憶を取り戻していく過程は気になって、どんどんページをめくった。また、家庭内暴力、工場派遣労働の描写には揺さぶられた。<br />
<br />
ただ、まったく「惹き付けられた」「読み返そう」とは思わなかった。あ、多分ここからメタボラの感想にあんま関係なくなるわ。僕がメタボラを読んでまず思ったのは、「わかりやすすぎる物語じゃないか？」ってこと。<br />
<br />
例えば、「揺さぶられた」と上に書いたけど、なんていうか、これはつまり力づくな感じがしちゃったんだな。家庭内暴力とか工場派遣労働っていうひどい現実を見せつけられて、確かに揺さぶられはした。でも、そりゃそうだろう？っていう思いがすっごく強かった。<br />
<br />
でも、僕はこういう（ある意味で）予定調和な「感動」はぜんぜん惹かれないんだなー。惹かれないんだニャー。予定調和というか、なんて言えばいいんだろ？刺激と反応のわかりきった関係、かな（まだわかりにくいけどw）「そりゃ家庭内暴力うけたり、搾取的労働させられたりしたらこっちも痛々しい気持ちになるでしょ」みたいなw<br />
<br />
僕が惹かれるのは平気で裏切ったり、理解できなかったり、受け入れられなかったり、する物語。そういう物語から生まれる感情は名付けがたく、由来もわからず、そしてどこへ行くんだ？そういう感情を生み出す「わからない」物語のほうが、開かれている気がする。わからない分、それぞれが自分の人生や考えを投影できるものであると思うし、その分多くの人に届くんじゃないかな。その意味で、今回のメタボラはすごく閉じた物語だと感じた。<br />
<br />
ただ、「わからない」物語を楽しむのは本当に大変なことでもある。投影するってことは自分との対話であり、物語をつうじて自分のなかに降りていく作業でもあるから。やっぱり、普段から自分の感情を深いレベルで受け止めるというか、刺激に対して単純な反応しているだけじゃ、そういった深みはわかんない気がするなー。気がするニャー<br />
<br />
あーー、この段落↑すっごく抽象的！ちきしょう！ニャーでごまかしきれてない感丸出し！<br />
<br />
<br />
、続けます。そういういい物語っていうのは、相反する2つの魅力を兼ね備えてなくちゃならない。つまり、「わからないけど、わかりたい」って相手に思わせなくちゃいけない。作り手の立場から言うと、これってすごく難しそー。映画とかテレビとか見てて思うけど、そういうものって今は本当に少なくなっているな。<br />
<br />
深くは立ち入らないけど、そういう2つのベクトルをもつには、伝えること矢表現することでは「何を」よりも「どのように」っていうのが大事な気がする。気がするニャー。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
引きの魅力]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-02-03T20:41:52+09:00</dc:date>
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    <title>ガタカ</title>
    <description>DVDにて。恵比寿ガーデンシネマの閉館に伴うプレイバックに選ばれているのも納得な名作でした。

この映画を見て一番勇気づけられたのは、主人公が運命に立ち向かっていく姿だった。遺伝子が支配する世界で、ジェロームの助けも借りながら降り掛かってくる障害に立ち向かう姿はほんとうにかっこよかった！

...</description>
    <content:encoded><![CDATA[DVDにて。恵比寿ガーデンシネマの閉館に伴うプレイバックに選ばれているのも納得な名作でした。<br />
<br />
この映画を見て一番勇気づけられたのは、主人公が運命に立ち向かっていく姿だった。遺伝子が支配する世界で、ジェロームの助けも借りながら降り掛かってくる障害に立ち向かう姿はほんとうにかっこよかった！<br />
<br />
いちばん印象に残ったのは、ランニングマシーンで心拍数をはかるシーン。データ自体はジェロームから借りながらトレーニングをしてるだけど、終わって１人になったとたんにどっと疲れた姿を見せていた。でも、それまではなに食わぬ顔をしてトレーニングしていて、そのギャップに驚き、そこまで自分を追い込める姿に感動した。<br />
<br />
ジェロームの描き方も最高だった。最初は取っつきにくそうだけど、ビンセントのパワーに魅了されてどんどん協力的になっていく姿がよかった。階段を手で登るシーン、とてもよかったし、「夢をもらえた」っていう言葉もよかった。<br />
<br />
<br />
<br />
気になったシーン。<br />
「タイタンは厚い雲に覆われている。何があるかは全然わからない」「何にもないかもな」っていうやり取りは遺伝子のことを暗示している？「本当は何もないかもしれない？」<br />
<br />
「顔なんて誰も見ちゃいない。遺伝子のデータだけが重要なんだ」っていうところは示唆に富んでいた。これは肩書で人の多くを判断する我々にもいえることじゃないか。<br />
<br />
最後の医者のシーン。医者はずっとビンセントであることを気づいていたのでは？だから欠陥のある子供の話をしたんじゃないかなあ。<br />
<br />
<br />
<br />
とってもいい映画でしたので、ぜひ！]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-01-30T19:06:39+09:00</dc:date>
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    <title>月に囚われた男</title>
    <description>恵比寿にて。めっちゃ面白かったです！

まずは物語のアイデア勝ちかな？古い方のサムが事故にあったときと、新しい方のサムが目覚めるときを観客を混乱させるように描いているのは「やられたー！」と思った！他にも、救助隊の到着っていうタイムリミットをもうけて物語に緊迫感を出しているところもうまいと思いまし...</description>
    <content:encoded><![CDATA[恵比寿にて。めっちゃ面白かったです！<br />
<br />
まずは物語のアイデア勝ちかな？古い方のサムが事故にあったときと、新しい方のサムが目覚めるときを観客を混乱させるように描いているのは「やられたー！」と思った！他にも、救助隊の到着っていうタイムリミットをもうけて物語に緊迫感を出しているところもうまいと思いました。<br />
<br />
印象的な描写はガーティ（お手伝いロボットみたいなやつ）に関してが多かったなあ。ガーティには小さめのウインドウがついてて、顔文字？ニコちゃんマーク的なのがそこに表示されることで表情（の代わり）をしている描写が心に残った。<br />
<br />
そのウインドウの絵文字自体はとってもチープなんだけど、それとは別に多くを物語っているように感じたのがガーティについているカメラの動きだった。ガーティは本社から派遣されたロボットだからもちろん基本的には、クローンのことなど不都合な真実は隠すように話す。でも、ずっと一緒に過ごしているサムに親密な感情を抱いているようでもあって、その葛藤がガーティのカメラを通して表されているように感じた。具体的には、カメラの焦点を合わせるような動作音がして会話の間が開いているような描写が、「ロボットが迷っている」っていう難しい状況をうまく表していたと思う。<br />
<br />
あと印象に残ったのは、地球に脱出するサムに向かって「覚えている通りの地球だといいね」っていうガーティの言葉。「移植された記憶」を持つサムにとって、地球は断然した存在であり、うまく言えないけど、サムのこれからの波瀾万丈を予言しているような言葉であると感じた。<br />
<br />
また、ラストの「こんなやつ不法移民かホームレスに決まってる！」っていうせりふもなんだか引っかかった。地球に戻って会社を告発して、っていうこれからの展開も決して簡単じゃないっていうことを示したせりふだったのかなあ。<br />
<br />
<br />
<br />
引っかかってるだけでうまく表現できないところも多いけど、純粋に物語としても楽しめる、とってもいい映画でした。アマゾンで検索したらデビッドボウイ主演の映画とバーターでDVDが売られているので、それを買って見返してみてもいいと思うくらい楽しめました。]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-01-27T10:22:17+09:00</dc:date>
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    <title>180　south</title>
    <description>渋谷シネクイントにて見ました！とってもいい映画でした！


この映画は、パタゴニアとノースフェイスの創業者の2人がかつて登ったコルコバド山に憧れて、1人の若者が目指すっていう映画です。

そのなかでパタゴニア創始者のイヴォンがいう「山頂に登ったからといってなにがあるわけではない」っていう言...</description>
    <content:encoded><![CDATA[渋谷シネクイントにて見ました！とってもいい映画でした！<br />
<br />
<br />
この映画は、パタゴニアとノースフェイスの創業者の2人がかつて登ったコルコバド山に憧れて、1人の若者が目指すっていう映画です。<br />
<br />
そのなかでパタゴニア創始者のイヴォンがいう「山頂に登ったからといってなにがあるわけではない」っていう言葉が心に残った。<br />
<br />
んで、イヴォンはこう続ける。「聖杯を探すようにその過程が大事なのだ」この言葉は旅や冒険の本質を表しているなーと思った。確かに山頂に着いても（景色がきれい、とかは確かにあるかもだけど）取り立てて何があるわけではないよね。それよりも、そこに向かうまでの様々な障害を乗り越える体験や、自分の肉体や精神と語らう体験がこそが大事で、挑戦することの過程こそが冒険のすばらしさなんだなーと感じた。<br />
<br />
これは冒険とか旅行に限らず何でもそうかもしれないけど、「○○にいった。××をした。」っていう事実とか外聞が重要なんじゃないよね。それよりもその過程で「〜〜に挑戦してこんなことを感じた。」とか「△△なことに感動してこんなことを考えた。」っていう経験こそが自分の血となり肉となる、って感じました。<br />
<br />
また、この思想は言葉だけじゃなく、このドキュメンタリー全体を持ってしても描かれます。これは以下ネタバレですけど、この主人公のジェフは目的の山に登れないんだよね。正確には、山頂まであと少しっていうところで、引き返してしまう。<br />
<br />
引き返しちゃうことは確かにジェフにはすごく残念だと思う。でもジェフにとっては10年越しの憧れの山にその憧れの原因となった人とともにチャレンジできたっていうこと、またその途中で出会った様々な困難を克服すること、自然と触れて環境問題に考えること、すべてをひっくるめてこの冒険はすごく貴重な経験だったんじゃないかなーって思いました。<br />
<br />
絶対成功する冒険なんてあり得ないし（もしあったとしたらそれは冒険じゃないよね）、失敗する可能性、挑戦して命を落とす可能性、あきらめざるを得ない可能性があることにチャレンジすること。そしてそのチャレンジの過程で得られるさまざまな経験こそが「冒険」なんだなーと（あきらめることが描かれることによって逆に）強く思った。<br />
<br />
（そのまえにカフェで友達と話していた、形に残らない喜び、っていう話とも関連して、ここは本当にいろんなイメージがわいてきました）<br />
<br />
そして、現代の冒険はそのような挑戦になってないとイヴォンは言う。「今は冒険という言葉が安売りされている」と彼は述べる。ここでは「大金を払ってシェルパを雇い、彼らの引いたロープで挑む」って形でエベレスト登山が批判されていた。イヴォンは「本当の冒険とは未知なものに挑む態度のことだ」って述べていました。<br />
<br />
僕はこの「未知なるものに挑む態度」っていう言葉はなにも冒険に限らないし、そしてそれは現代に生きる我々にすべからく足りないものなんじゃないかなー、と解釈した。<br />
<br />
この映画でも、環境問題を論じる途中で「都市の人々はイヤフォンを耳に突っ込んで自分に閉じこもる」っていう言葉が出てくるんだけど、そのような行為に象徴されるように私たちは生活から「不確かなもの、意味の分からないもの、裏切るかもしれないもの」を追い出そうとしてるんじゃないかな。そのようなノイズを自分の生活からなるべく遠ざけて、いわば完成された予定調和に我々は過ごしてしまっているんじゃないかと思った。<br />
<br />
話が広がるけれど、小説や映画、音楽など様々な表現において、現代では「未知なるもの」が排除されている傾向が強いのではないかなーと感じました。詳しくは長くなるから省くけど、巷にあふれるさまざまな表現は1から10まで懇切丁寧に説明し過ぎだと僕は思う。様々な解釈がなされうるような、いわば「余白」のある表現が現在は少なくなっているんじゃないかなあ。そのような表現が求められている時代なのかもしれないけれど。。<br />
<br />
最後にイヴォンが言う「ナチュラルに生きる」とは。この映画では環境問題の文脈で説明されていた。しかし僕はもっと大きな解釈として、「未知なるもの」を追い出すことなく、自分と異質なものを恐れることなく共存すること。それが「ナチュラルに生きる」ってことだと解釈しました。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
ともかく、映像美はいわずもがな、単なるドキュメンタリーにとどまらず様々なイメージを喚起するとってもいい映画でした！<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-01-24T22:10:02+09:00</dc:date>
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    <title>借り物とこれから</title>
    <description>最近、借り物のことばしか吐いてない気がする。

例えば。
今日「トゥルーマンショー」という映画を見ました。で、「空中キャンプ」（名ブログ！）に書いてあったし、影響受けてなんか感想書こうかなーと思ったわけですよ。てか、実際書いたんだけど、「なんかなあ・・・」と思ってお蔵入りにしてます。なんかしっ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[最近、借り物のことばしか吐いてない気がする。<br />
<br />
例えば。<br />
今日「トゥルーマンショー」という映画を見ました。で、「空中キャンプ」（名ブログ！）に書いてあったし、影響受けてなんか感想書こうかなーと思ったわけですよ。てか、実際書いたんだけど、「なんかなあ・・・」と思ってお蔵入りにしてます。なんかしっくりこないというか、自分の書きたいことじゃなかったんだよね。最近は一事が万事この調子で、何か書こうとしたりしゃべろうとしたり、とにかく表現したりしようとするとしっくりこないことが多い。<br />
<br />
これはなんでかなーと思ったところ、冒頭の通り「借り物のことば」が俺を浸食しているからじゃないかな、と。<br />
<br />
なんか、自分でいうのもすごくアレな話ですけど。おれってけっこういろんな本読んでると思うんスよ。大澤真幸とかほとんど読んだしさ、浅田彰とかジジェクとか？読んでるし？なかなかいい感じだと思うんスよ（照）<br />
<br />
でも、なんかそういう哲学的な観点とか、レトリックとか、そういうものにいっぱいふれすぎたせいで、「せいで」っていうのもおかしいけど、自分の心からほんとうににじみ出るような気持ちをうまく表現できてない気がするなあ。<br />
<br />
例えば。また「トゥルーマンショー」の話ですけど。映画を見て最初に思ったのは「ああ、この主人公は自然の人工性を暴こうとしているなあ。ん？これってマルクスのイデオロギー批判といっしょだよな。でも今の社会は＜心理学化＞＜社会学化＞していてそういう潮流とは違うのかなあ」とか小難しいこと考えてました。<br />
<br />
そういう哲学的なことと、自分の考えを高い次元でコネコネして自分の考えをうまく表現できる人ならいいけど、少なくとも俺はそうじゃないなあ。むしろそういう考えに引っ張られて、自分のほんとうに思っていることが曇ってしまっているような印象がありました。<br />
<br />
だから、これからは小説、映画、音楽とかいろいろな表現に接しても、今ある自分の知識に簡単に当てはめて安易な方法に逃げるのではなくて、もっと自分の考えとか感情にまっすぐ向かい合ってみようと思いました。<br />
<br />
意味が分からなかったり、理解できなかったり、裏切られることを恐れずに、物語にぶつかっていきたいと思います。<br />
<br />
また、なるべく素直に、自分の感じたことも表していけたらと思う。今まではそれこそ哲学的なフレームワークに安易に頼ることで、一見変わっているっぽいことを書いていたけど、それももうやめだぜ！語彙が少なくても、貧しいことしかかけなくても、これからは自分の心を反映しているのが一番！]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-01-22T02:17:37+09:00</dc:date>
    <dc:creator>No Name Ninja</dc:creator>
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    <title>他者について。第三者の審級について。</title>
    <description>『＜自由＞の条件』から他者について。考えをまとめる練習的なやーつ。でも肝心なところが理解はできるけど、「腑に落ちる」というか心から実感を伴って納得できていないので、その点も書きます

ーーーーーーーーーーーーーーー

・「他者」について

他者とは不思議なものだ。不思議というか、端的に謎...</description>
    <content:encoded><![CDATA[『＜自由＞の条件』から他者について。考えをまとめる練習的なやーつ。でも肝心なところが理解はできるけど、「腑に落ちる」というか心から実感を伴って納得できていないので、その点も書きます<br />
<br />
ーーーーーーーーーーーーーーー<br />
<br />
・「他者」について<br />
<br />
他者とは不思議なものだ。不思議というか、端的に謎である。何を考えているかわからないし、何を感じているかは永遠に（他者が他者である限り絶対に）共有できない。これは考えると結構怖いことで、私の隣にいるものは、本当は謎に包まれた得体の知れない「他者」だ。まったくの不確実である種危ないやつなのだ。大澤真幸はこれを「他者とはある意味で（端的に知覚不能という意味で）死の体験だ」と述べている。<br />
<br />
しかし、私たちは日常的に他者と接している。知っている人はもちろん、外に出て電車に乗ったりすれば全く知らない人と隣に座ったりしている。他者の危なさ＝不確実さはどのように縮減されているのか？<br />
<br />
私たちは日常的に他者と話したり、目が合ったり、触れたりする。その他者と接するところに不確実さを縮減する萌芽がある。<br />
<br />
他者と接するときには常に2つのベクトルが存在する。「私→他者」と「他者→私」どちらか一方だけのベクトルはありえない。どちらか一方だけのベクトルの場合は対象物は「他者」ではなく「もの」として私にあらわれる。「他者」を見ることは見られることでもあるし、他者に触れることは他者に触れられることでもある。<br />
<br />
しかし、その他者の現れ方は非常に独特だと大澤真幸は言う。「「他者」は私にとって徹底的にネガティブな形で現れる。他者は私が捉えようとしたその瞬間に逃れ去ってしまう。」「他者」の視線や肌のぬくもりを意識したとたん、その「他者性」は逃れていってしまい、私たちは「他者性」を痕跡としてしか感じられない。いわば「他者性」は「永遠の過去」として私たちにたち現れてくるのだ。<br />
<br />
この「永遠の過去性」が他者の不確実を縮減する「第三者の審級」を生むのだ。<br />
<br />
<i>私が他者を追い求めると、その他者はもはやそこにはいない。このことがさらに私の前に立つこの他者とは異なる他者　ー同じ空間のうちにあって私と顔を合わせて対峙することがあり得ないー　、「かつて私を見ていた」「かつて私に触れていた」と見なしうる他者が存在していたことを含意するものとして、感受されることになるのだ。</i><br />
<br />
つまり、「他者」とは私にとって常に過去（そこにあった）という形で感じられるそのことが、間主体的な身体＝第三者の審級を生むということだ。<br />
<br />
こうして「他者性」の過去性が抽象的な間主観的ネットワークを生み、他者の不確実性が縮減される<br />
<br />
ーーーーーーーーーーーーーーー<br />
<br />
以上が大澤真幸の「第三者の審級」が生まれる過程の荒っぽい描写です。すごく抽象的でわかりにくいので、僕なりにくだけた形で言い換えると、<br />
<br />
「他者っていうのは常に過去形で感じられる。もしくは他者っていうのは常に痕跡を感じるものだ。」<br />
<br />
「つまり、私たちにとって他者は常に過去。<strong>そうすると常に過去にいたっていう「ぼんやりとした他者」っていうのが生まれる。</strong>人がその存在を何となく感じられて、行動や考えになんとなく基準や規範をもたらしてくれる抽象的な他者が生まれる」<br />
<br />
っていうことなんだけど、やっぱり自分で書いてても、なんとなくしっくりこないというか。とくに太字にしたところが納得できないな。<br />
<br />
「他者を感じるのは常に過去系→常に過去にいたと感じられる規範や基準をもたらしてくれる抽象的な他者」っていう論理の流れはわかる。<br />
<br />
ただ、他者は常に痕跡を感じるもの→共同主観の成立＝他者の未来性の縮減＝他者の不確実性の縮減って考えると全然わかんなくなるな。不確実性の縮減って言うことは、ある程度「行動の幅」が定まると言うか、突拍子もないことをする可能性がなくなっているっていうことでしょ？<br />
<br />
なんで「他者性は常に過去形」だと他者の行動まで予測可能になるんだ？時間を一本の軸として論理を転がしている気がするなあ（もちろん私の理解力が及ばないだけであり、これはイチャもんです。真幸先生ごめん）<br />
<br />
ーーーーーーーーーーーーーーー<br />
<br />
ただ、この第三者の審級っていう考え方はすごく面白くて、いろいろなことがこれに結びつけて説明できます。<br />
<br />
たとえば、この本の中で述べられていることだけど、スポーツにもこの第三者の審級は関連してます。<br />
<br />
いままで、誰も成し遂げられてない記録（例えば100メートル9秒台とか）が1人によって達成されると、その記録を多くの人が達成できるようになるのか？<br />
<br />
これは大澤真幸によると、その記録が第三者の審級に承認されることによって、多くの人によって到達可能な記録と考えられるためだということです。<br />
<br />
僕なりに言い換えると、「一回達成されると、その記録が人々が狙う範囲内に入る」って言う感じでしょうか。<br />
<br />
もちろん、アスリートの人は前人未到の記録に到達してやろうとがんばっている訳だけど、共同主観に絡めとられて生きている人は「無理なんじゃないか」って無意識下で思っちゃってるんじゃないか。<br />
<br />
でも、「天才」って呼ばれる人はその共同主観に登録されていない記録を狙うことができる。つまり「共同主観を更新できる」人なんじゃないか。<br />
<br />
この考えはとても納得できるものであった。天才って言われるプレーヤーはどこかエキセントリックなところがあったり、性格面も尖っているところが多いのはそういう心の機制があるからなんだなーと思った。<br />
<br />
そういえば、自分が好きなサッカー選手もそういうようなキャラクターが多いなって思った。いや、サッカー選手に限らず、自分はそういうキャラクターに人よりも強くあこがれを抱いていると思う。<br />
<br />
まあ、何はともあれ、スポーツにも（というか人間社会の多くの場面に）考えを敷衍できる第三者の審級です。初見だと何となくつかみにくいけど、大澤真幸をいろいろ読んでいるうちに立体的にわかってくるし、ラカン・ジジェクなんかの「大文字の他者」と非常に近いので理解できるとその辺もわかりやすく読めると思います。<br />
<br />
<br />
<br />
・・・文章の終わらせ方って難しいなーw　空中キャンプはやっぱりすげーや。でも文章書くと新たな考えとかが生まれたり、「俺って感覚で理解してんなー。もっと論理的に説明できるように理解しなくては」と反省したりと、文章書くのは面白い体験だと改めて思ったのでがんばって更新していきたいです。]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-01-15T21:39:09+09:00</dc:date>
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    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
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    <title>『自由の条件』を考える</title>
    <description>今読んでいるのは大澤真幸『自由の条件』。『量子の社会哲学』とかに引き続き読んでるので文体にもすっと入れて読みやすい。いや、少なくとも文体から意味が取れないってことは少ない。ただ内容がよくわかんないところはあるけどw

まだ途中だし、結論にももちろん至っていないけど、様々なモチーフがちりばめられて...</description>
    <content:encoded><![CDATA[今読んでいるのは大澤真幸『自由の条件』。『量子の社会哲学』とかに引き続き読んでるので文体にもすっと入れて読みやすい。いや、少なくとも文体から意味が取れないってことは少ない。ただ内容がよくわかんないところはあるけどw<br />
<br />
まだ途中だし、結論にももちろん至っていないけど、様々なモチーフがちりばめられていたので、いままでピンときたところを書く。<br />
<br />
・因果関係と自由について。<br />
まずちょっと考えれば考えつくけど、因果関係に支配されたこの世で自由な営みっていうのは本当にあり得るのか？っていうのは至極真っ当な意見だと思う。<br />
例えば今みんなが抱いている感情も結局は脳内の科学物質の現象なわけじゃん？じゃあ、その反応としての現象を生み出す刺激って言うのが存在して、また結果としてその刺激を生み出す反応なり現象があって・・・（以下無限ループ）<br />
<br />
そうすると自分が恣意的に選択できる自由な営みって言うのは存在するのか？<br />
<br />
これは古典的にはラプラスの悪魔かな？そんな疑問として哲学的には存在していると思う。（哲学的に論破されているのかな？）（多分量子科学とか持ち出すと地学なってくるのかな？観測が存在に影響を与えることの不可避、みたいな）<br />
<br />
で、大澤真幸はこれを否定して、自由の存在する余地を確保する。<br />
そこで出される例ってのが「封筒を開封する前に舌打ちをする人」って言う話。これは単なるジョークみたいなもんで、ある人は封筒が届けられると必ず舌打ちをしてから開封する。「何だってそんなことをするんだい？」って聞くと、「舌打ちしてからあけると、請求書が入ってたことがないんだ。」っていう。<br />
<br />
「これをただ単に滑稽と片付けてはならない」と大澤は言う。「いや、むしろ滑稽どころか、これと同じ光景を我々はシリアスな場面の至る所で目にする。」<br />
<br />
その1つの例が「祈り」だ。「祈りの時間性」を考えると因果関係を全くの自明なものとして捉えることはできなくなる。<br />
例えば試験。試験が終わった後で僕たちの多くは「合格していますように」と祈る。しかし、因果関係から見るとこれは全くの無意味だ。試験が終わった後でどんなに祈っても結果は変わらない。しかし我々は祈る。<br />
<br />
つまり、因果関係っていうのは過去と現在の出来事をつなぐための「了解の仕方」にすぎないのではないか？<br />
<br />
いや、この言い方はうまくないな。論理の飛躍がある。なんて言ったらいいのかなあ？<br />
<br />
じゃあここで精神分析の例を出そう。<br />
精神分析において著名な概念として「トラウマ」がある。ご存知の通り幼少期の過酷な体験がその後の精神病の原因となることだ。しかし、幼少期の体験はその場ですぐ精神病の原因となる訳ではなく、そこには遅れが存在する。<br />
その遅れとは。幼少期の体験がトラウマとなるには、その後に「意味の体系」が獲得されることが必要。<br />
その意味の体系を得た地点から見返して、幼少期の体験がそこに収まりきらないためにトラウマが発動する。<br />
<br />
<br />
<br />
ここで長々書いてきたことを僕なりの言葉で言い直す。<br />
「過去の出来事の意味はそれだけでは一義的に確定しない。過去を見返す地点の主体の状態や状況においてその過去はいかようにも意味を変え得る。いや、正確には物事の意味は確定的にはどこにも存在しない。その後の地点から見返したときに現在とうまくつながるように過去は意味を与えられる。過去と現在のつながりを説明する一つの方法として因果関係というのが存在するのだ。」<br />
<br />
思えば僕も過去の嫌な思いをした経験が、その後の地点から苦しくも輝かしい一歩として見返すことができたことがある。そこに自由があるんだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
ま、僕のことなんてどうでもいいけどね。てか自分のことに結びつけようとすると一つのトピックでめちゃめちゃ長くなるなw　あと、文章にしようとすると自分が本当に腑に落ちて理解できてないことがよくわかるな。<br />
<br />
もう2〜3こトピックをいれて更新しようと思ってたけど、また次回だな。<br />
<br />
<br />
カントのアンチノミーと男と女について。<br />
他者の未来性を過去に変換する。<br />
逃れ続ける顔と尺度と人間の価値について。<br />
かな]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-01-07T14:47:58+09:00</dc:date>
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    <title>あけましておめでとうございます！</title>
    <description>大桟橋に初日の出見に行った！年始にアグレッシブに外出するのは人生初だったけど、きれいだったし、なによりメンツがとっても居心地がよくて本当に楽しかった！


てか！最近空いた時間はツインピークスと映画鑑賞にとられてぜんぜんブログ更新できてない！ださい！ちょっとじっくり時間を取って『自由の条件』の...</description>
    <content:encoded><![CDATA[大桟橋に初日の出見に行った！年始にアグレッシブに外出するのは人生初だったけど、きれいだったし、なによりメンツがとっても居心地がよくて本当に楽しかった！<br />
<br />
<br />
てか！最近空いた時間はツインピークスと映画鑑賞にとられてぜんぜんブログ更新できてない！ださい！ちょっとじっくり時間を取って『自由の条件』の「他者が未来から過去へと反転すること」と「カントのアンチノミーと男と女」のこと書きたいなあ。<br />
<br />
<br />
とにもかくにも今年もよろしくお願いいたします。もう一つのブログも更新しなきゃなあ]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2011-01-02T00:36:19+09:00</dc:date>
    <dc:creator>No Name Ninja</dc:creator>
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  <item rdf:about="https://nekohei2nd.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/pkjbkh%E3%82%94%E3%81%89jk%EF%BC%9B">
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    <title>pkjbkhゔぉjk；</title>
    <description>にゃ！

あれから「現代宗教意識論」大澤真幸著読みました。きちんとまとまった文章にするのは難しいかもだけど、いろいろと思ったことを書きます。

まずはやっぱり「サカキバラ事件」の論考が面白かった。そんなかでまず面白かった点は「自分の認識のうちに意味が立ち上がってくるにはそれを保証してくれる他...</description>
    <content:encoded><![CDATA[にゃ！<br />
<br />
あれから「現代宗教意識論」大澤真幸著読みました。きちんとまとまった文章にするのは難しいかもだけど、いろいろと思ったことを書きます。<br />
<br />
まずはやっぱり「サカキバラ事件」の論考が面白かった。そんなかでまず面白かった点は「自分の認識のうちに意味が立ち上がってくるにはそれを保証してくれる他社の存在が必要」って言う点。これは大澤真幸にはおなじみの「第三者の審級」そのものって訳だけど、そういう捉え方をするとまた「第三者の審級」の意味が立体的になる。<br />
<br />
これは廣松渉の「世界の四肢的構造」っていうのとほぼ同じ構造。<br />
<br />
「四肢的構造」＝「例えば目の前のコップ。このコップはガラスのある形をした固まりにすぎないが、私はこれをコップとしてとらえている（割れてしまってもガラスの破片のあつまりではなく、コップが割れたものとしてとらえる）。このメカニズムはガラスの固まりをコップとしてとらえる抽象的な他者の存在が無意識にせよ確信されていて、その価値観が自分にもインストールされている。」<br />
<br />
って感じかな<br />
<br />
で、少年Ａはこの世界を裏から支えて意味を供給している視点が信じられなくて、「人の壊れやすさを試そうと犯行を重ねた」っていう論考。それに関連して「量子の社会哲学」でも触れられた「顔の顔性の不可能性」って言う論が続く。顔をわざわざ見てから殺すって想像すると確かに戦慄だわ。<br />
それは簡単に言うと「人の顔には魂が宿っているように思える。しかし、顔を凝視してその魂＝顔性をとらえようとすると、顔は途端に物質に還元して魂は逃れ続ける」って言う感じかな。<br />
<br />
ぼくは人と話すときに顔をみて話すのが苦手だ。顔から魂が感じられるのが怖いのかも。なんか、予想外のことが起こりそうなんかな。これ考えてみよ。<br />
<br />
で、ここから続く<br />
<br />
<span style="font-size:150%"><strong>その少年Ａが世界の意味が信じられなくなったのは阪神大震災を経験したからだ</strong></span><br />
<br />
って言うところがこの本で一番面白かった。たしかに、自然災害で世界が崩壊するっていうのは、圧倒的暴力で、世界認識までも壊してしまう暴力なのかも。<br />
<br />
でも、自然の人工性を暴くっていうのが思想の役割だって東浩紀は言っていたけど、それと大震災は違う話なんだろか。あーイデオロギー批判ってその世界の意味を支える審級を批判することなんかなー。書きながら理解に至ったw<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
あと、加藤智大の秋葉原事件の論考も面白かった。そのなかで、非正規雇用者は大文字の大義のために働けないって言うのが如実に現れる場所だっていう論旨。この議論は正直荒くて、あまり知的刺激はなかった。<br />
<br />
ただ、真木悠介の「への疎外」と「からの疎外」を使った考察は興味深い。非正規雇用者は「からの疎外」からも疎外されているっていうちょっと入り組んだ議論。<br />
<br />
まあ、議論の詳細はいいんだけど、この論考だと「への疎外」はあった方がいいってことなのかな？真木悠介の議論は「からの疎外」に悩んでいるときは「への疎外」に思い至ると視野が広がるって言う議論だった気がするけど。。。<br />
<br />
真木のときは政治の季節で大文字の大義のプレゼンスが大きすぎたから、そのオルタナティブとして言ったけど、いまは逆になさすぎるからいわば裏返した形で真木悠介をつかっているのかなあ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
今回はこーんな感じ！あんまりまとめるのはうまくないし、もうちょっと自分の考えを入れたアウトプットにしたい。ただ、このブログいい媒介になっている気はする。あ、結局「量子の社会哲学」のこと書いてねーやw　ま、いいか。もう一度じっくりよんで書きたいな。柄谷行人も今年の3冊にあげてるくらいだしね<br />
<br />
<br />
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<br />
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<br />
俺は俺なりの時間の使い方をしてきて、それがまだ形になってないけど、テクストを読むことや映像を見ること、いろいろなことを考えることを通していい体験はしていると思う。そういう意味でインプット量では負けたくないし、そこから最大限得れるようにしているのも自信がある。いつかあの哲学が俺を救ってくれると信じてる。]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2010-12-24T00:48:03+09:00</dc:date>
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